【団体インタビュー】地域の災害対応力を高める!地元団体だからこそできる長期的な支援とは?【鋸南復興アクセラレーション】
日本全国、各地で毎年のように地震や水害、豪雪等々何かしらの災害が発生しています。同じような災害が起きた時にゼロから支援活動を始めるのではなく、他地域での蓄積を活かしてもらえるよう、復興BASEでは各地で災害からの復興支援に取り組む団体の情報をお届けしていきます。
今回は、2019年9月の台風15号で大きな被害を受けた千葉県鋸南町で活動する任意団体・「鋸南復興アクセラレーション(以下、アクセラ)」の堀田了誓さん(代表)、笹生さなえさん(副代表)、清水多佳子さん(広報)にお話を伺いました。(会話文中敬称略)
異なるバックグラウンドをもつ3人が集まって活動がスタート広報担当の清水さんは、2018年9月に鋸南町の地域おこし協力隊として着任し、観光分野で活動していましたが、台風発災後は町内の主な観光施設も被災し、観光どころではなくなってしまいます。被害の状況をSNSで発信したり、2拠点居住者の書類申請を支援したりする中で、ボランティアセンター(以下、ボラセン)との関わりが増えていきました。
清水:そんな中で社会福祉協議会(以下、社協)の局長さんから、地元の人を中心としたボラセンの支援団体を作ってほしいという相談があったんです。そこで現場で活動する堀田さん・笹生さんに声をかけたことが、アクセラの活動につながりました。
代表を務める堀田さんは飲食店を経営していましたが、発災後は休業し、訪問介護員の資格を取って福祉事業を始めます。並行して「鋸南町ロータリークラブ有志ボランティアグループ(以下、RCV)」を設立し、家屋補修の現場を回してきました。発災から3ヶ月程が経ちボラセンが縮小する中で、活動を引き継ぐ地元団体の必要性に共感し、設立時からアクセラに関わってます。
堀田:ボランティアが集まるRCVとボラセン機能を担うアクセラ、両方の代表をしています。災害支援に直接関わるのはこれが初めてです。自分達も被災する中、なにもかも手探りのところから始めました。日曜日に家屋の補修活動を行い、平日はボラセンの支援をしています。
副代表の笹生さんは3人の子どもをもつお母さんでもあります。発災前は、主婦業をベースに在宅でWeb記事のライターをしていました。
笹生:発災から2~3日経って、家にある食料もなくなってきたので、子ども達を連れて物資をもらいに行ったんですが、すごく殺伐としていたんです。人手も足りていないし、「早く早く!次!袋開いて!」という感じでみんなピリピリしていて、正直子どもに見せたくない光景だと感じました。幸い我が家の被害は少なかったこともあり、こういう町だと思ってほしくなくて、「お母さんは明日からボランティアに行ってきます!」と宣言して活動を始めました。
復旧・復興両面の支援に取り組むアクセラ
アクセラでは大きく分けて3つの活動に取り組んでいます。①ボラセンの運営 | ②損壊した屋根と家屋の補修と人材育成 | ③情報発信とコミュニティづくり |
①ボラセンの運営
台風15号により被災し、屋根にブルーシートを張り生活していたり、雨水による湿気で室内にカビが生えたりといった被害が出ています。ボラセンでは被災した住民からの相談を受け付け、現地調査を実施し、ボランティアの送り出し等を担っています。堀田:台風災害は繰り返し起こりうるものなので、現状への対応と並行して、地域自体が台風災害への対応力をもつことが大切だと思います。災害対応を専門にしているNPOはいくつかありますが、全国的な組織なので1ヶ所にとどまり続けることは難しいのが現状です。だから災害対応が長期化したり、別の地域で新たな災害が起こるとボランティアが一気にいなくなってしまいます。地域外のボランティア頼りだとどうしても地域が弱くなるんです。地元団体がボラセンを引き継ぐケースはまだ少ないのですが、長期対応となる場合には地元で機能を引き継ぐことも必要です。
特に全世界的にコロナ禍に見舞われた2020年は、外からのボランティアはストップしてしまいました。そのような状況下で、規模は縮小したものの止まることなく続けられているのは、地元にボランティアとボラセン機能が根付いていることの成果だと思います。鋸南から、今後の災害対応に活きる何かを生み出せればと思っています。
②損壊した屋根と家屋の補修と人材育成
被災家屋への対応をしながら、地域の災害対応力を高めていくために、力をいれているのが人材育成です。現地に常駐して家屋の補修を行う団体と連携し、補修技術をもった人材や、現場でのリーダーを任せられるような人材を育てています。堀田:最初は屋根には上らず簡単な作業から始めて、徐々に難易度の高い屋根補修も経験してもらうというように、定期的に活動に参加できる方を核として、実地でレクチャーしています。リーダー級の人材が育つとチームを分けることができるので、対応できる件数も増えます。屋根補修の技術を身につけたボランティアは、7人程育ってきました。家主の状況を見て施工方法まで検討できるようなリーダー級になれるのは、そのうち2~3人でしょうか。
室内は「カビ除去」と「養生」の2段階があります。「カビ除去」の方は、技術習得者が20名程で、その内10名は指示出し等もできるリーダーです。「養生」は習得に時間がかかるため、リーダー人材はまだ2名程と不足していますが、この活動で身につけた技術を活かして、他の地域でも活動できるようになってほしいですね。
③情報発信とコミュニティづくり
また、災害支援が長期化するにつれて重要度を増してくるのが、情報発信やコミュニティづくりといった活動です。アクセラでは月に1回広報誌を作成し、鋸南町の広報誌と併せて全戸配布しています。清水:町内には高齢者も多く、SNSをやっている人は少ないので、町民に確実に情報を届ける手段が必要です。全戸配布は役場の協力があればこそですね。実際に広報誌を見て電話をくださる方も多いです。
家屋が壊れて町を出てしまったという人も少なくありません。更地になったところもあり、目に見えて流出が激しい地区もあります。「みんないなくなって寂しくなった」といった声を受けて、リラックスしながらお話ししてもらえる場づくりとして始めたのが、足湯のイベントです。高齢者の方が中心ですが、足湯イベントを通じてカビや雨漏りのニーズも拾うことができました。コロナ禍の中で現在は中止していますが、落ち着いたらコミュニティづくりのイベントも再開したいです。
(詳しくは:足湯で繋げる地域のコミュニティ)
笹生:復旧と復興は似ているようで違います。家が復旧したからといって心が穏やかになったかというとそうではないんです。復興はコミュニティづくりとも関係しています。例えば海沿いは風が強く、住宅が密集した地区では空き家問題が顕在化しています。自分の家が復旧しても、隣にいつ瓦が飛んでくるかわからないような空き家があると、心のやすらぎの場ではなくなってしまいますよね。
安らげる場所の中でコミュニティを形成できれば、その中でぽろっと出てくる言葉を拾うこともできます。コミュニティがしっかりしていたら、たとえ被災しても人的被害の規模は小さくなるのではないでしょうか。支援がなくなったとしても、その後自分達で立ち直っていける地域になれるはずです。
復旧期から復興期へ。誰一人取り残さない支援体制を目指す
発災から1年半以上が経ち、外部からの支援が入って家屋の片付け等に取り組む復旧期から、地域コミュニティや地域経済の再生が求められる復興期へと、鋸南町における支援フェーズは移りつつあります。そのような中で、支援の現場ではどのような変化があるのでしょうか。笹生:発災初期はとにかくニーズが多いので、いち早くこなしていくことが重要です。支援が必要な件数は多かったんですが、業者による本施行の目途はついている人の依頼が中心でした。今は対応件数自体は減っているものの、より深刻な案件が増えています。
2020年は200件程家屋補修の対応をしましたが、数字としては同じ1件でも、「一部損壊」に認定される幅が広いので、案件によって重みが全く違うんです。こういった数字だけでは見えないことは、現場を知る私達が積極的に発信していく必要があると思います。
また、初期はこちらからアプローチをしなくても次々に依頼がありましたが、紙媒体で情報発信をしてもなかなか届かない方もいますので、最近は地域へ様子を伺いに出向くアウトリーチ活動を始めました。発災以前からの課題ですが、困窮世帯や様々な事情で自分から声を上げることが難しい人が取り残されているという印象です。ボラセンとして1つ1つの案件に関わり続けることは難しいのですが、行政と情報を共有して適切な部署につないでいくなど、官民連携で誰かがフォローできるような体制づくりを模索しています。
アクセラ設立から1年以上が経ち、県の担当者や鋸南町の復興担当の方も熱心に私達のところにヒアリングに来てくださるようになりました。今も社協の一部を間借りして活動していますが、NPO等の法人格をもっていない私達の声が行政に届くようになったのは、社協のおかげです。
行政と民間でこういった良好な関係ができていることも、復興の一部だと思います。先ほどの被災した空き家問題も、空き家とは言え持ち主がいるため、勝手に養生することはできません。行政の担当者から声かけをしてもらう等して持ち主につないでもらい、持ち主が特定できた場合は連絡して処置をすることもあります。
葛藤を抱えながら、それでも前へ
最後に、お三方に災害復興支援に取り組むモチベーションや、これから目指すものについてお伺いしました。堀田:明確に言葉にできるものは意外とないですね。自分、ご近所さん、被災者さんがいて、毎週のように活動する仲間がいて、行かなきゃいけないところがある。そういった状況の積み重ねです。発災以降、ボランティアのことを考えなくてよかった日はありません。
最近、地元で復興支援に取り組む上での葛藤というか、終わりがない重みも感じています。初めは使命感や正義感から動いていましたが、被災者の中には元々の知人も多いので、家に電話してくる人もいます。プライベートと活動の境目があってないような状況ですが、自分自身の生活を見ると、確実に日常が戻ってきています。一方で、被災の傷跡が美談に昇華することはありません。苦しむ人はずっと苦しみます。時間が経っても辛い思いをしている人がいる。災害支援はそういった方々と向き合っていくことでもあります。
だから、自分のプライベートと向き合う現場に温度差があると、そこを埋めるための労力も必要になってくるんです。本来やらないといけない仕事も復活してくるので、活動に割ける時間も今後減っていきます。こういった状況下では、自分のモチベーションを常に考えないと、ギリギリのところで途切れそうになることもありますね。
支援団体が複数あった頃はまた違いましたが、最後の1団体ならではの大変さはあると思います。ボランティアをしたいと言ってくれる人はたくさんいますが、自分の顔と名前で責任をもってやる人間は少ない。一生懸命やっていても、非難されることだってあります。「誰かがやってくれたらな」と思うことはありますが、これをやれる人がどれだけ世の中にいるのかと考えると、たぶんまだいないんじゃないでしょうか。
「堀田さんがやっている間は新しい人は出てこないよ」とは言われるし、自分でもそう思いますが、どこかで僕自身も日常に戻るタイミングが来ます。常に僕がやれるわけではない中で、後に続いてくれる中核的な人材が出てきてくれるかどうかですね。自分がやめたら復興が止まってしまうという不安は、長期化するほどにあります。こればっかりは自分達だけではどうにもならないのですが、地元で長期的に災害支援に携わる難しさを、落ち着いたタイミングだからこそ考えるようになりました。
笹生:私達がやらなくなっちゃったら、どうにもならない生活を続けていくしかない人達がいるのが見えているから、「やるしかない」が活動の基盤になっているという面はありますね。
堀田:外部の支援団体の撤退のスピードや、新たな発災で潮が引くようにボランティアが来なくなること、そしてコロナ禍といった現実の重さをわかっているからこそ、やっていかなきゃいけないんですよね。今は重さは重さとして感じながらも、自然と自分の体が動くので、それがモチベーションと言えるかもしれません。
清水:私は目の前のことをこなすのが精一杯で、将来こうありたいみたいな目標があるとは言い難いというのが正直なところです。鋸南町で災害というものを初めて経験して、被災者を前に復興に関わっていることそのものが、私にとってはすごく大きな経験です。途中で放り投げたりはしたくないので、この問題があり続ける限りは関わっていきたいという思いがあります。
現在も町外から定期的に来てくださっている方がいるので、このつながりを災害復興支援だけで終わらせず、これからのまちづくりにも活かしていきたいです。
笹生:復旧だけではなく復興をというのが、私のこれからのテーマです。鋸南町の高齢化率は2017年頃から45%を超えていて、千葉県内でも1~2を争う高齢化した町なんです。その影響もあってか、16年前に結婚して鋸南に来たときは、正直子育てしづらい町でした。コミュニティに入れずに生きにくさを感じていて、当時は苦しかった。
そんな状況を変えたのがボランティア活動でした。地域のマップ作りや乳幼児の運動会を企画したんですが、自分で動けば動いてくださる方がいるという肌感覚をもてました。後に続くママ達が私みたいな苦しい思いをしなくてすむように、新しい人が入ってきたらすんなり受け入れられるコミュニティを目指したいですし、子ども達にも「この町に住んでてよかった」と思ってほしい。そんな思いが活動の根っこにあります。
そのためにも、災害ボランティアがきっかけで鋸南町に来てくれた方々を関係人口化して、新たなコミュニティを作っていくことは大事だと思います。感度の高い学生からアンケートや聞き取り調査の依頼もきているので、そういった方に積極的に災害の復興過程をお伝えして、町の中と外をつなぐ役割を担っていきたいです。災害はいつどこで起きてもおかしくないので、自分達の中だけでとどめずに、私達の知見を他の地域とも共有していかないともったいないですよね。
そしてもちろん、この地域にも台風は毎年のようにやって来ます。有事の際に助けが必要な人のことを普段から意識できるよう、コミュニティ力を上げて減災をめざす活動にも力を入れていきたいです。
堀田:事情の違う3人ですから、モチベーションも三者三様です。地元で団体を作ろうとするときには壁がありますし、きれいごとではない面にもぶつかります。一般社団法人RCFは、そういう現実的な部分も考えながら伴走支援をしてくれているので、本当にありがたいです。客観的に見てくれる人、話してくれる人がいるから活動を続けられています。
将来的には他地域で専門的に復興支援と関わるのがベストかなと考えることもありますが、ここまで来たらこの経験を受入れて、最後まで見届けたいですね。