【企業インタビュー】コミュニティーの一員として災害支援の中で役割を果たす【フィリップ モリス ジャパン合同会社】
緊急期・復旧期に被災地支援を行う企業は多いものの、長期にわたって復興期まで支援し続ける企業の数は限られてきます。今回は、現在進行形で復興支援に携わるフィリップ モリス ジャパン合同会社(以下、PMJ)の取組みをご紹介します。
PMJはスイスのローザンヌに統括本部を置く、世界最大のたばこメーカーであるフィリップ モリス インターナショナル(以下、PMI)の子会社です。近年は「煙のない社会」をビジョンに掲げ、事業の変革を進めています。PMJは東日本大震災以降、熊本地震、平成30年7月豪雨、台風15号・19号災害、令和2年7月豪雨と災害支援に携わり続けており、各地の支援に対する総拠出額は2億3,000万円(内、中長期な支援には1億6,600万円)に上ります。同社の社会貢献活動の担当者として、10年近く災害支援に携わっている、山尾さんにお話を伺いました(会話文中敬称略)。
山尾 ゆり(やまお ゆり)
フィリップ モリス ジャパン入社後は営業、広報、渉外、サステナビリティなどのさまざまな業務を経験。社会貢献活動の担当者として、奨学金制度の創設をはじめとした様々なプロジェクトの策定・実施を行ったほか、東日本大震災以降の被災地支援では、約10年間にわたり、被災地の支援プロジェクトとあわせて、従業員のボランティアを担当している。
「コミュニティーとともに」という理念が災害支援を自然なものに
――緊急時だけではなく、復興期まで長期にわたって被災地支援に携わる企業はまだまだ少数派だと思うのですが、PMJはなぜ災害支援に長期的にコミットできるのでしょうか?
山尾:PMIには創業時からの企業文化として、「コミュニティーとともに」という理念が根付いています。PMIは約180ヵ国で事業を展開しているので、世界各国に従業員が生活し、働いていて、そのコミュニティーの一員として自分達の役割を果たそうという共通認識があります。コミュニティーなしでは、生活もビジネスも成り立ちません。災害が起きたときには地域のために何かできる人間じゃないといけない。経営陣だけでなく、社員ひとり一人がそう思っているのではないでしょうか。
――コミュニティーの一員として支援するということが、社風として根付いているんですね。PMJでは災害復興支援活動はどのように位置づけられていますか?
山尾:CSRの一環でもありますが、地域の一員としての役割という考えに基づいています。PMJは日本国内でも、北は北海道から南は沖縄まで従業員がいるので、どこかで災害が起きれば必ず従業員が住んでいる地域が影響を受けることになります。それから私達はたばこという消費財を扱っていますので、従業員同様、消費者もあらゆる地域に住んでいます。一番小さな単位である地域社会において、私達なりの役割を果たしたいという思いが企業活動の根幹にあるんです。
災害が起きたら即座に予算化に動く。東日本大震災時は発災翌日に1億円の支援を決定。
――通常企業には年間予算があり、災害支援分野に充てる資金は予めプールしているか、していないところがほとんどです。PMJでは、発災後に予算を確認し、支援金を捻出していると伺いました。このような災害支援の枠組みはどのようにできていったのでしょうか?
山尾:災害はいつやってくるかも、その年にいくつあるかもわからないので予算化できません。決まった社会貢献プロジェクトは予算化していますが、災害支援は実際に災害が起こってから予算確保がスタートします。こういう規模の災害なので、これくらいの予算で、女性と子供が弱者になりがちだから女性と子ども向けのプロジェクトを立ち上げたい、というような現状に即した計画に基づいて、社内で協議をしたのちに予算が下りる仕組みです。
例えば東日本大震災当時は、社会貢献部署の本部がスイスのローザンヌにあり、日本支部のビジネスの予算とは別に、社会貢献に関する年間予算と災害時の緊急支援については、直接統括本部とやりとりする体制でした。
あのときは本部マネジメントの決定がとにかく早くて、こちらから何も申請していないのに翌日には「1億円出すよ」と連絡をもらいました。おそらくスイスでもかなり報道があったのではないでしょうか。私達の方でもまだしっかりと被害の全容を把握できていない状態だったので、情報収集を加速させました。
――発災翌日に1億円の支援を決定するというのはすごいスピード感ですね。
山尾:当時本部の社会貢献部門トップが私の元上司で、日本で働いていたこともある方でした。その方でなくても同額程度拠出されていたとは思いますが、共感力の高い方でしたし、「あの規模の地震が日本で起きたら……」というのを肌感覚でイメージできる方だったからこそ即断即決できたのかもしれません。
その後、3年程前から各国の支社に自由度をもたせる体制に変わり、本部と相談しなくても日本で予算化できるようになりました。担当者としては、起きてからどうするかを相談するより、起きたときにどう動くか、事前にきちんとしたスキームを作っておいた方がよりスピーディーに支援を決められるのではないかと常々思っており、そのための体制づくりについて相談した先が、一般社団法人RCF(以下、RCF)でした。
支援がほしい被災地と、支援したい企業。橋渡し役がいることで、支援のリソースを最大化できる。
――RCFとはどのような経緯でつながったのでしょうか?
山尾:RCF代表の藤沢烈さんと初めてお目にかかったのは、2016年の熊本地震のときです。日本財団が災害発生時の初動調査を実施していたのですが、それを担っていたのがRCFでした。PMJとして子ども達の支援をしたいと日本財団に相談していたので、現地の責任者として熊本入りしていた藤沢さんを紹介していただきました。初対面だったものの、私の方はすでに藤沢さんの活動を存じ上げていたので、これをきっかけに今後何かしら協働できればという思いはありました。
それからすぐに何かというわけではなく、PMJで手掛けている別分野の社会貢献プロジェクトの事務局をRCFにお願いするといったことを経て、直接的に災害支援の相談をさせていただいたのは2018年のことでした。平成30年(2018年)7月豪雨で被害を受けた地域で、支援予定の団体と調整を進めていたのですが、さまざまな要因でプロジェクト実施にいたりませんでした。その後、支援先探しをRCFにご相談したところ、プロジェクト内容の方向性と予算においての合意を得て、愛媛県宇和島市での復興支援プロジェクトが決まりました。
宇和島市の支援をご一緒させていただいたことで、改めてきちんと枠組みを作って、初動からスムーズに対応できる体制を整えたいという思いが強まり、その件もRCFに相談させていただきました。様々な企業の社会貢献担当者が不定期に集まる、さまざまな会合等でも情報収集していたのですが、災害によって特色も全然違いますし、発災時の支援について前もって会社で決めているところは聞いたことがないと言われました。
工場があるとか、その地域が自分達のビジネスにとってどの程度重要かといった度合いも異なる場合が多いので、事前にガイドラインを作ったり、ルール化したりするのは難しいようでした。そういうお話を伺う中で一度はあきらめかけていましたが、東日本大震災以降、風水害など自然災害の規模感も大きくなっています。きちんと決めておかないと、適切な支援が迅速にできないと感じました。大規模な災害に対しては、一時の義援金的な支援だけではなく、対象の地域が再生し、元々抱えていた課題も解決できるような息の長いプロジェクトができるような体制にしたいという思いがありました。その思いを受け止めてくださったのがRCFでした。
――現在PMJではどのようなガイドラインが運用されているのでしょうか?
山尾:たとえば地震の場合、震度6以上を支援の検討対象としています。過去の災害から割り出した被災レベルを想定し、家屋被害の程度によって初動調査をするかしないかを決定します。ガイドラインができてからは、それに従って決めるという流れになりました。もちろん、あくまでもガイドラインですので、状況に応じた個別の対応もあり、それが絶対ではありません。
予算の確保については、社内のマネジメント層に相談し、最終的には予算を管理する財務部と調整するという流れです。社長と財務部のトップを含め、マネジメントの理解もあり、迅速に動ける社内の体制が整っています。
このガイドラインの策定を受け、2019年にはPMJとRCFで復興協定を結び、発災時には私達が調査費用を拠出し、RCFに初動調査をお願いするという体制作りも行いました。被災地で最も深刻な課題は何かレポートを上げてもらい、RCFの提案を基に、PMJも関わりながら支援プロジェクトの中身作りをすすめています。
主幹産業が大きなダメージを受けたのであれば、その再生を試みますし、元々あった課題を解決できずにいるのであれば、災害復興の過程でそれを解決していく。「ピンチをチャンスに」というか、被災のダメージをただ元に戻すのではなく、創造的に復興を遂げるようなご支援ができたらと思っています。
支援金を出してくれてありがとうで終わるのではなく、RCFのみなさんはすごく細かに相談やご報告をしてくださいますし、こちらの提案も聞いてくださいます。日頃から私達の意向を汲んでくださるので、そういうところも信頼性がありますね。
――支援先はどのように選んでいるのでしょうか?
山尾:中長期にわたってご支援させていただきたいという思いがあるので、地元の方かどうか、NPOで活動してきた経歴があるかといったことよりは、プロジェクトをやりとげる力を重視しています。人と人とをつなげるネットワーク力などですね。PMJの社会貢献部門担当者として、全てを私1人でやることはできません。RCFに地元のいろいろな方と会ってヒアリングしてもらい、信頼できる、専門性をもった方の目で見極めをお願いしています。
気候変動の影響もあると思いますが、特に近年は豪雨や台風など、これまでに経験したことがないようなレベルの自然災害が、年に1回くらいのペースで起こっています。何か対策していかないと、行政だけ、民間の支援だけで打撃を受けたコミュニティーを再生していくのは難しいと思います。
NPOや行政と企業では、使う言語が違うというか、ものごとの進め方や考え方が違いますよね。だから双方をつなぎ合わせる通訳が必要と感じています。お互い思いはあるのに、平行線のまま「できない」となってしまうのは非常にもったいない。支援が必要な側、したい側のマッチングをする人がいないと難しいのではないでしょうか。
被災地との橋渡しをしてくれるRCFのような組織にコーディネートしていただきながら、プロジェクトを一緒に考えて実行していく今のようなスタイルは、少ない資源を最大限に活用できる支援の形だと感じています。
災害は他人事ではない。ビジネスと両立させながら、減災社会を目指す。
――最後に、山尾さんの担当者としての思いをお聞かせください。
山尾:私が社会貢献活動を担当するようになってから、大きな災害がいくつもありました。特に東日本大震災は、プロジェクト実施や従業員ボランティアとして毎年何回も伺い、荒涼としたところから町が復興していく過程を見てきたので、思い入れがあります。被災地でもいろいろな出会いがありました。
この仕事をしていると、ご縁ってすごいなと思うことが多いですね。たくさんの縁が、思いがけないところでつながっています。「PMJの山尾です」と名乗ると、かなり昔に1度お目にかかっていても「覚えてます!」と答えてくださる方もいて、前にご支援したNPO等が復興を支える中心となっているのを目の当たりにすると感慨深いです。
10年経った今も過去につながったご縁がどこかで続いているんだなと改めて感じますし、正しく生きていかなきゃなと思っています。どこでそういった方に会うかわからないので、襟を正すというか、きちんとした仕事をやっていかなければ、という思いがあります。
近年の災害を振り返ると、いつ何時自分も被災者になるかわからないですし、誰にとっても他人事じゃないと思っています。地震はある程度しょうがないとしても、気候変動による台風の巨大化等は、人為的な要因も含まれます。企業としても、環境に配慮したビジネスを心がけていく必要があると思います。
微々たるものでもそう思ってやらないと、いつかとんでもないことになってしまいます。PMJも様々な取り組みを行っていますが、ビジネスと両立させながら、環境への負荷を減らすような取組がさらに広がっていくことが企業にも求められています。
PMJのビジネス自体も180度変わってきていて、煙の出る、いわゆる紙巻たばこ製品からは撤退し、よりリスク低減の可能性のある加熱式たばこへの切替えを進めるという方針を打ち出しています。これまでたばこを吸わない人とは社会貢献活動以外であまり接点がなかったのですが、新しい製品が受け入れられる過程では、コミュニティーの重要性もより増していくと思います。コミュニティーの一員としてその役割を果たしていくという理念は、これからも変わらず実践していかなければならないことです。そういう意味では、次の10年もあまり変わらないかもしれませんね。小さいことを積み上げていくことが大切だと思っているので、それを続けていくのみです。
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