【対談】活動団体と伴走者、本気のぶつかり合いが事業をドライブさせる【Teco×RCF】
福島県いわき市平窪地区で、住民の交流イベントや復興公営住宅の支援等に取り組む「一般社団法人Teco(以下、Teco)」が、2021年8月で休眠預金活用事業の満了を迎えました(詳しい活動内容はコチラ→【団体紹介】一般社団法人Teco)
これまでの活動を振り返って、Teco代表理事の小沼満貴(おぬま・まき)さんと、事業当初からサポートしてきた一般社団法人RCF(以下、RCF)の新倉綾子(にいくら・あやこ)との対談をお届けします。(文中敬称略)
助成金申請から事業期間中の試行錯誤、事業終了後の展望まで、山あり谷ありの舞台裏を語っていただきました。助成金申請を検討中の方には特に参考になる内容ですので、ぜひご一読ください。
パソコンすらない中、二人三脚での助成金申請
――まずは休眠預金へ応募のきっかけや、苦労したことを教えてください。
小沼:きっかけはやはり2019年の台風19号ですね。Tecoの事務所がある平窪地区が大きな被害を受けてしまい、何かしたいと思ってはいたもののどうしていいかわからなかったときに、知り合いの方がRCFにつないでくれて、休眠預金活用事業のことを教えてもらったんです。
新倉:あの災害では、後に「東日本台風」と名付けられるほど、広域で同時多発的に被害が発生しました。休眠預金は公募制ですので、広く応募を受け付けますが、RCFでは応募を検討する団体さんからご相談に応じて、助成事業の案内や、検討中の事業計画を伺い、審査にあたって申請内容がより明確になるようなサポートも行っています。被災地の復旧支援に取り組まれていたTecoさんとも、計画の方向性を伺うなど、申請の前段階から相談の対応をしていました。
小沼:当時は、Tecoのメンバーは私も含め2人で、それぞれ別に仕事をしながらボランティア的に動いていたんですが、事務所どころかパソコンすらない状況。子育ての合間を縫って、学習支援センターの共用パソコンを使って申請書を作っていました。申請書には、アウトプットとかアウトカムとか、聞いたことがないような言葉が並んでいるし、これまでの助成金もなんとか申請できても通らなかったりと、日々頭を悩ませていました。申請の相談に乗って頂けたのは本当に大きかったですね。
新倉:小沼さんの「住民に寄り添った活動がしたい」という思いはすごく伝わってきたので、それを具体的に表現できるよう、目指す受益者数などいろいろと問いかけをしたりしましたね。
小沼:私は普段の生活スタイルも含め、目の前のことしか見られないタイプなんです。だから最初は、新倉さんの見ているところがあまりにも大きくて、「そんな先のこと言われても……」と感じていたんですが、助成金の申請は、先の見通しや地域に対するインパクトについて説得力のある形で書かないと伝わらないですよね。新倉さんのアドバイスがなかったら、思いだけで実現性が見えない申請書になっていたと思います。〆切30分前とギリギリでしたが、おかげさまでどうにか提出できました(笑)
――RCFでTecoを採択するにあたって、どのような期待がありましたか?
新倉:RCFでは採択にあたって大事にしている基準が3つあります。
1つは、解決しようとしている課題が真に重要なものか、それを解決できる事業かという事業の妥当性、
2つ目は事業を安定して推進できる体制が構築できているかという実行可能性、
3つ目は事業終了後にも地域に根差して復興支援を担うことができるかという継続性です。
事業の妥当性としてはTecoさんの「水害で孤立してしまう人達のためにコミュニティサロンを開いて、寄り添える場所を作りたい」という提案は、被災者支援としてすごくピュアだなと感じました。被災地で住民の方がおかれた環境や孤立・孤独の状況をお聞きする中で、これがないと困る人がたくさんいる、解決すべき課題だと思えるものでした。
実行可能性についても、コミュニティサロンを起点に実施したいイベントなどについてお聞きすると、次から次へとに連携したい団体名が具体的に出てくるんです。すでにこれだけの人達とつながっているんだなと驚きました。また、地元の区長さんや復興公営住宅など、地域内のネットワークもあり、確実に被災者支援を進めてくれるだろうなという期待感がありました。
継続性については、復興支援の現地団体の多くは災害が起きてから立ち上がることが多いので、どこも未知数ではあるんです。ただ、復興支援は、どうしても中長期の取組みが必要なもの。形を変えながらでも、地域に根付いてやっていきたいという気持ちがちゃんと見えるかを大事にしています。Tecoさんはこの3つのバランスが取れているなと感じました。
小沼:Tecoは休眠預金活用事業の申請が通ったおかげで本格的に動き出せた団体です。申請の過程で、目指す事業の形も見えてきたので、RCFの伴走支援には本当に感謝しています。
やらないという選択肢はない。コロナ禍でも創意工夫で活動を続ける
――こうして事業が動き出したタイミングでコロナ禍に突入してしまいましたが、どのような影響があったのでしょうか?
小沼:コロナ前の2020年2~3月頃は、休眠預金活用事業の前身の公民館のサロンに来ていた人達が継続して通ってくれたこともあり、9時から16時までコミュニティスペースをオープンして、毎日50~100名の利用があったんです。ところが4月からはコロナの影響が大きくなり、大々的なサロン活動は一旦中止せざるを得ない状況になりました。人と人をつなぐ場所を作りたかったのに、それができなくなってしまった。ただ、一瞬立ち止まりはしたものの、コロナ禍の中でもできることを考えていくことにしました。
新倉:立上げ時から、2週間に1回のペースでTecoさんとRCFの定例打合せを実施していた中で、「サロン活動ができない間の活動としてどういうことが考えられますか?」といった問いを投げかけて、いろいろと案を出していただきました。
例えば落語イベントを予定していたのですが、中止した代わりに落語CDの制作という案を検討しました。以前Tecoさんの別事業で、ラジオをCDに録音して配布することでコミュニティ支援を行ったという話があったので、落語イベントもCDで代替できるのではという話になったんです。一緒に課題を考え、可能性の芽を提示したところ、Tecoさんの行動力とノウハウでとんとん拍子で実現していきました。
小沼:他にも、住民の方に来てもらえないなら逆にこちらから発信しようと、活動内容を「てこてこ通信」という新聞にまとめて回覧やポスティングをしたり、サロンの前の砂利を掘り起こして菜園を作ったりしました。特に菜園は、通りかかった人との交流が生まれたり、グリーンカーテンが新たにできたことで「何かやっている人達がいるんだな」と伝わったり、直接来てもらえない人にもTecoの存在を知ってもらうきっかけになりました。
新倉:コロナ禍で思うように活動できないという声は、休眠預金活用事業に取り組む他の団体からも多く聞かれましたが、そんな中、ものともせずという感じでしたね。振り返ってみて、コロナ禍でも事業を止めずに活動を続けることができたのはなぜだと思いますか?
小沼:どうやったらできるかを常に考えているので、そもそもやらないという選択肢はありませんでしたね。感染対策に気を付けながら、この人はこういうことをしたら喜ぶだろうなとか、この人とこの人をつなげたらいいんじゃないかというのを1つ1つ実行していきました。
以前、もっと大規模なNPOに所属していたときは、組織の方針もあるので、自分が動きたいときすぐに動けずもどかしい思いをすることもあったんですが、今は思い立ったらその日にでも動けます。私達にとっては、目の前の住民の方が何を必要としているかがすべてです。私だけじゃなく、スタッフみんながそういう考えなので、コロナは立ち止まる理由にならなかったんだと思います。
徹底して「目の前の1人と向き合う」姿勢を貫く中で見えた成果
――そんな中、お二人にとって、事業が進んできたと実感した瞬間はどのようなものでしたか?
小沼:先ほども話したように、私は基本的に「今目の前にいる人を笑顔にしたい」というモチベーションで動いているので、事業全体を俯瞰して成長を感じることはあまりないかもしれません。逆に言えば、毎日のように「この事業をやっていてよかった‼」と実感できています。
新倉:私にとって印象的だったのは、2020年11月、RCFのもとで活動する3つの団体さんの活動共有や意見交換を行う交流会です。発表資料の作成をお任せしたんですが、構成もよく練られていて、こちらの期待水準を大きく越える発表内容でした。
振り返ればそれまで私も口を出しすぎだったというか、事業成果が出るように先回りしてアドバイスするようなところがあったんですが、「自分でこれだけできる人達に対して私は何をやっていたんだろう!」と、頭が殴られるくらいの衝撃を受けました。事業を進める中で、事業初期とは比べ物にならないくらい成長されてきたんだなと感じた瞬間です。伴走者としてもっと相手を信じて、成し遂げるのを待たなければと反省しました。
その後、着実に事業を進めていただき、2021年8月に事業完了を迎えました。住民さんやこれまで連携してきた団体の方々を対象に行った最終報告会(PDF)では、延べ5,000人以上がサロンを利用し、累計1,000人以上がイベントに参加してきた実績や、バリエーション豊かな活動風景と住民さんの交流の様子、アンケートを通した成果の見える化がされています。これは、日々住民のみなさんにコツコツと向き合い、歩みを止めずに活動してきた賜物だと思います。
この最終報告会は、緊急事態宣言が発令されたため、オンライン中心に切り替わったのですが、その中でこれまで活動に関わった外部団体の方が総勢30人程登場する動画が上映されました。寄せられたメッセージはどれも温かいもので、これこそTecoさんが作ってきたコミュニティそのものだと感じました。活動が実を結び、被災者の方が元気になり、温かい地域のつながりを生み出している。この事業の伴走を通じて、素晴らしい景色を見せていただきました。
小沼:最終報告会は住民の方だけでなくオンラインで参加してくれた方も大勢いて、私達にとってもこれまでの取組を振り返り、成果を感じられる場になりました。
時には衝突することも。ぶつかりながら、次なるステップを目指す
――事業終了後の活動については、どのように考えてこられたのですか?
小沼:住民の方と関わる中で、サロンのような人をつなぐ場の重要性をひしひしと感じてきました。被災地域かどうかに関係なく必要な機能だと思います。事業期間終了と共に活動が途切れてしまわないよう、終了後もどういう形で何ができるかは期間中ずっと考えていました。
新倉:急には決まらない話なので、昨年末頃から折々で相談してはいたんです。事業の柱がないと専従で動けなくなってしまうので、事業をイチから創れるような人材に関わってもらえないか検討したり、別の助成金に申請を出したり……
ただ小沼さんも現場の仕事がお忙しくて、投げかけた案件が進んでおらず、ついきついことを言ってしまったこともあります。後ろから逆算してプレッシャーをかける役割の私と、目の前の人を大事にする小沼さんだと、現実との折り合いがつかずぶつかることもありました。
小沼:新倉さんに「たとえ目の前に困ってる住民さんがいたとしても、他のメンバーに任せる時期に来ています。事業終了後も活動を続けられる体制を作るのが、代表としてやるべきことなんじゃないですか?」と言われたときはハッとしましたね。新倉さんが私達と同じ目線で動いて活を入れてくれて、想いの熱さを感じました。
言われた直後は「そんなこと言われても……」と思いましたが、私がやりたいことをやるためにも、もうちょっと現場に任せて、広い視野で考えて動く必要があると気付けました。がらっと変わったようには見えないかもしれませんが、マインドには確実に変化がありました。
新倉:その後、次の事業の柱になる助成金に応募したり、会員寄付の仕組みを整えたりして、団体が自走していけるように残り期間で取り組みましたよね。いわき市さんからも、地域防災の軸でコミュニティづくりを行う事業の公募があるよとお声かけがあったと聞いたときは、ちゃんとそれまでの活動実績を見ていただけているんだな、確実に地域での担い手として認知されてきたんだなと、とても嬉しく思いました。
小沼:そうですね。これも大きかったです。今後は、平窪地区内の事務所に場所を移し、公民館を活用しながらの月に1回程度のお茶会や、地域の防災力向上を目指した活動、復興公営住宅等の住民の方への個別支援活動を続けていく予定です。
――最後に、今後の展望について教えてください。
小沼:「誰もがこの町に住んでいてよかったと思えること」が団体設立時からの理念なのですが、「今日生きていてよかった」と少しでも思えることがその一歩だと考えています。住民の方1人1人が本来もっている力を引き出すことができれば、地域が抱えるより大きな課題の解決にもつながっていくのではないでしょうか。
いわき市にはたくさんの団体がありますが、団体間や行政との連携がもっとスムーズになれば、解決できることも増えるはずです。「Tecoに聞けばなんとかなる」と思ってもらえるような、いわきを代表する中間支援組織的な存在になれたらと思っています。
新倉:徹底してブレずに住民のみなさんに寄り添い、それを自分達の喜びとして、しっかり形にしながら活動してきたところがTecoさんの強みだと思います。いわきの中間支援組織になりたいというのも事業当初から言い続けていることですし、本当にブレない。いわきに限らず、福島全体のきらりと光る存在になってくださると期待しています。